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デジタルデトックスキャンプweb

このインタビューは、駿台甲府高等学校 通信制課程 副校長 中村圭世先生が自身の教育理念とその実践について詳しく語っていただきました。中村先生は、小学校時代の恩師の影響で教育者を志し、そのキャリアを築いてこられました。特に注目すべき点は、通信制教育の新しい可能性と価値について。中村先生は、通信制教育が単なる代替手段ではなく、積極的な選択肢として認識されつつあること。そして特に、コロナ以降、さらに価値観が変わり、通信制を選ぶ生徒が増えてきていること、また、通信制教育が提供する柔軟性と個別対応の重要性について詳しくご説明いただきました。さらに、松下幸之助氏の言葉を引用され、全日制だけが唯一の道ではないこと、様々な可能性が開けることを教えてくださいました。

 

ポイント

□教育者としての原点と経歴□

中村先生は、小学校5、6年生の時の担任教師の影響で教育者を志したことを語られました。特に、当時の学校が荒れていた時代に、その恩師から教員になることを勧められた経験が印象的でした。

 

□通信制教育の新しい可能性□

中村先生は、通信制教育が単なる代替手段ではなく、積極的な選択肢として認識されつつあることを強調しました。特に、コロナ以降、価値観が変わり、通信制を選ぶ生徒が増えてきていることを教えていただきました。

□教育現場での実践と成果□

中村先生は、これまでの経験として生徒と共に行った様々なボランティア活動や自然体験学習の実施について詳しくお話しくださいました。特に、ゴビ砂漠での植樹活動や、通信制生徒とのキャンプなど、実践的な教育の重要性をお話しいただきました。

 

□松下幸之助氏の言葉から□

中村先生は、松下幸之助氏の言葉を引用し、全日制だけが唯一の道ではないこと、通信制でも様々な可能性が開けることをお話しいただきました。特に、通信制教育の柔軟性と個別対応の重要性について詳しく説明いただきました。

 

□メッセージ□

駿台甲府高校通信制課程は、通信制教育の可能性を広げるため、より多様な学習プログラムの開発、さらに生徒のみならず保護者向けのカウンセリング体制を強化し通信制教育の価値を高める努力をされています。基本となる家庭を守る特にお母さんへのメッセージも紹介されています。

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インタビュア:

まずは、先生ご自身がなぜ教育者になろうと思われたのでしょう。

 

中村先生:

本当に単純なんです。身近なところにとても魅力的な先生がいて、その先生のようになりたいっていう思いからです。教えることが好きで、小さい頃から周りの友達に勉強を教えてあげたりもしていました。当時は学校が荒れた時代でしたので、教師になるのは怖いなとも思い、不安もありました。それで進路を決めるときに大変お世話になった恩師に電話をしたんです。そしたらその恩師が「やりがいのある仕事だ。同じ教師になろう」って言ったてくれたんです。その先生は小学校の時の担任の先生です。

 

本当を言うと教師か医療従事者か、どちらかと悩んでいたんです。人と深く関わる仕事がいいと思っていたんですね。それで最終的にどっちにしようかって悩んだ時に、その恩師の先生に背中を押されて。 コロッと。  

 

インタビュア:

そうなのですね。教師か、医療従事者かは、ベースに人に深く関わり助けたいという思いからなのでしょうね。

 

中村先生:

そうですね。人を助けたいという思いはありました。そこに動機があるように思います。先ほどお話ししたような流れで恩師にも背中を押されました。そこから自分の道を確信し、大学は教育学部、卒業後、教員の道を歩み初めました。最初の2年間は公立の中学校・高校で、その後ずっと駿台甲府学園の中学校・高校で教壇に立っています。最初の約20年は駿台甲府高校全日制、その後、駿台甲府中学校で約10年、昨年の4月から通信制課程で副校長を努めています。

 

インタビュア:

ご担当された教科は?

 

中村先生:

理科です。高校では生物を教えていました。中学校はその区分がないので、それこそ物理、化学、生物、地学全部ですね。通信制でも時折、理科を教えています。

 

インタビュア:

どうして数ある科目の中で、理科の先生になろうと思われたのです

か?

 

中村先生:

私、本当に素晴らしい理科の先生に恵まれたんです。小学校4年生の時の担任で、5,6年生もその先生から理科を教わっていました。その先生が理科のおもしろさを教えてくださいました。さらに当時、時代もありますが中学校が荒れて、そこを抑えるためだったと思うのですが、なんと小学校からその先生が中学校に異動してきて、中2の時に、また私の担任になってくださいました。すごいご縁です。 その先生は生徒指導の力もあり、確かな教授力をお持ちでした。

 

インタビュア:

そんな出会いもあり、理科だったと。

 

中村先生:

それに理科の世界って、すべてが神秘的ですよね。

 

インタビュア:

確かにそうですね。

 

中村先生:

何か私の中に感じるものがありましたね。いろいろと身の回りにも。例えば小学生の頃、手塚治虫の「ブラックジャック」や「火の鳥」などを真剣に読んでいたりもしました。身近な自然や本などの影響を受けて、「生命とは何か」「死とは何か」そういったことを小学生の頃から考えていました。

 

インタビュア:

なるほど、そういう世界への興味が導いたわけですね。中村先生も

その素晴らしい恩師との出会いによって、教師になられてよかったなって思えるこ

とがたくさんあると思うのですけど、特に印象的なことを教えてください。 

 

中村先生:

そうですね。一つ紹介するとすれば、 私が駿台甲府高校の全日制で担任をしていたときに、生徒と一緒にボランティアサークルを立ち上げたことがありました。最初はメンバーはクラスの生徒2、3名ほど。それからどんどん輪が広がり、3、4年で60名ほどのサークルになりました。さらにその過程で、驚くことに私からではなく、生徒の方から私をどんどん新しい活動に誘うようになったんですね。 

 

インタビュア:

例えば、どういうことですか?

 

中村先生:

一緒にゴビ砂漠に木を植えようとか。

 

インタビュア:

え! どうしてそんなすごいことに?

 

中村先生:

生徒が「植林に行くので先生も一緒に行こう!」って言うんです。それも中国の内モンゴル自治区にあるゴビ砂漠まで。北京まで飛行機、北京からさらに寝台車に乗って行きます。

 

インタビュア:

あるのですか?そのような場所まで電車が。

中村先生:

あるんですよ、寝台車が。北京から西へ十数時間寝台車に揺られて包頭(パオトウ)という街に行きます。そこからさらに舗装されてない道を揺れるオンボロのバスに乗り2時間くらいです。ようやく着いた砂漠の村。そこでみんなでポプラを植えるんです。それも全部手で、スコップで穴を掘るんです。ほんの少し掘るんじゃなくて私が穴に入っておさまるくらいスコップだけで掘って苗を植えていきます。当然、水やりも水栓やホースなどあるわけもなく全員でバケツリレーです。そんなボランティア活動を生徒と経験する機会をもらえた。結局、その後、私自身が夢中になり、今度は他の生徒を私が誘ってさらに3回ぐらい現地で活動しました。もともと砂漠化を食い止めるための植林活動を始めたのは山梨県出身の遠山正瑛先生。97歳まで現地で活動をしていらっしゃいました。鳥取大の名誉教授にもなられ砂丘研で研究され、以前、NHKのプロジェクトXでも取り上げられた方なんです。その方がいらっしゃるご縁から 山梨県のボランティア協会で、そういうツアーを始め、生徒と何度か一緒に活動に参加させていただきました。ウィキペディアを引用して概要を説明します。

運命のゴビ砂漠~人生を変えた三百万本のポプラ~
https://www.nhk.or.jp/archives/teachers-l/list/id2019082/

引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/遠山正瑛

「遠山正瑛先生は1971年に定年退職。翌1972年に日中国交正常化で日本国内に家族を残し、私財を投げ打って一人で訪中。中国政府も砂漠化を食い止められず、1930年代に村があった場所はゴーストタウンになっていた。2000万人以上の難民を生んでいた「死の土地」という四国ほどの広さがある砂漠で、日中40度を超える中で毎日数十キロ歩き回って手作業で砂を掘って水源を発見した。数ヶ月後に水源を発見後に日本で寄付金を募って、鳥取砂丘の例から砂漠でも育つ葛のタネを八年かけて約7000万粒を収集した。そして、80歳で協力スタッフと共に訪中して地元の住民の妨害を受けながら3000本を植えたが、土下座して頼んでも一晩で現地の放牧ヤギと飼い主に食べられた。そのため、ポプラの木を代替とする。しかし、水分が足らずに枯れたので、日本のオムツから保水性の高いポリマーを日本から持ってきて使うと成功する。しかし、100万本植えたところで、黄河が氾濫して流される。そして、スパイ扱いしていた住民たちも感動し、地元の協力を得たことで急ピッチで100万本植林された。そして洪水から1年後に、死の土地が2万ヘクタールの緑の森になり、農地化にも成功した。野菜がとれるようになり、去っていった住民たちも戻ってきた。遠山はこうして、かつて「死の土地」だった場所を復活させた。その様子はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」で取り上げられた。(以上 引用)

海外まで出向き、さらにこのような活動に参加させていただくことで生徒たちも私も困難なものごとに対しても立ち向かう諦めない心や様々なことに対する気づきを得たように思っています。
 この日本にいても身近にいろいろな問題があり、気づきがあります。 例えば生徒と共に放課後のボランティア活動。老人ホームは週に2日くらい。保育園はそれこそ毎日です。生徒とともに当番制でグループ組んで活動していました。当時、活動していた生徒たちがもう、40歳近くにもなるのですが、今でも遠くから遊びに来てくれたり。 そういうつながりが今でもあることがありがたいなと感じます。

 

インタビュア:

ある意味の仲間。上下関係はもちろんあるでしょうが、お互い思いを同じくした同志みたいな感覚なのかも知れませんね。

 

中村先生:

そうです。学校=クラスメイトという関係だけではなくても、そういうサークルの中で一緒に活動した仲間はまた別の絆があるように思います。例えば蒔いた種を受け止め育てること。本人の意識と行動次第で自分を変えられる。学校はそういう可能性を秘めた場所でもあるとそう信じています。

 

インタビュア:

すごいですね。まいた種が広がっていく。

 

中村先生:

教員っていう仕事は「種まき」ですかね。学校の環境ももちろん大切ではありますが、本当の土台はやっぱり家庭だと思います。種を受け止めて、そこから自ら芽を出して、人の出会いでお水もらって栄養もらって、あとは自分の力かなと。自らの意志で育っていくことが大切だという気がしています。

 

インタビュア:

今のお話を伺って思うのは 、教室では説明しきれないことがあるということですね。社会に出たときと同様、自らの意思で、活動することがすごい

ですよね。よく聞く話ですが渡航経験の少ない国では日本の食事とは違い、慣れないものもあったと思うのですが。

 

中村先生:

おかげさまで私たちを受け入れてくれる体制も良くて心配はありませんでした。現地ではもうすでにポプラの苗木が100万本とか200万本とか育っていて、遠山先生をはじめボランティアの皆さんが砂漠化が進んでいるところに森を育てて、結果、砂漠化を食い止めた。現地の方の多くが村から去っていたのですが、また村に人が戻り、活気が戻り、そこで畑を作り、村が再生した。その畑でとれたいろんな作物を使って作ったご飯が出てくるし、皆で労働した後なのですごく美味しかったですね。 

 

インタビュア:

確かにそうですよね。観光でなら日本との比較で文句も出るでしょうけど、自らその村の人々のお役に立ったあとは違う感覚でしょうね。

 

中村先生:

そう。そして他にもいいことはたくさんありました。そんな大自然の環境ですから、一週間くらい完璧なデジタルデトックスができました。夜は日本では見ることのできないような満天の星空を生徒たちと一緒に、毛布にくるまり寝転がって眺めました。いい経験をさせてもらえました。それも私が投げかけたことに対して、受け止めた生徒の思いから始まるこんなご縁から生まれたものです。後日談ですがその時活動していた生徒の一人はその後、国立大学の農学部へ行き、今は環境省で活躍しています。

インタビュア:

すごいことですね。


中村先生:

そういう教室以外の場での体験はすごく大きいものです。同じように、通信制課程の生徒たちと「みのぶ自然の里」で一泊二日のキャンプを行いました。 自然の中で仲間と一緒に農作業、皆で自炊を体験。薪割り、それから火起こしをして、大変な思いをしながらご飯を作るんですけれども、それがとってもいい経験になって、たった一泊でこんなに変わるのかっていうくらい生徒が変わったんです。

インタビュア:

そうでしたか。

 

中村先生:

はい。通信制には実にいろいろな生徒がいて、皆それぞれに自分のスタイルを持っています。 例えば家業の手伝いをしながら学んでいる生徒、子どもを育てながら学んでいる生徒、バイトをして学費も自分で納めている生徒、大学進学を目指して、通信の勉強しながら自分の組んだプログラムで自由に好きな勉強して、見事第一志望の大学に合格する生徒など、様々です。

 

インタビュア:

それは、いいですね。

 

中村先生:

ええ。昔は通信制と言うと、学校に行けなくなってしまって、とか行き場がなくて仕方がなくというネガティブで消極的な選択という考え方が多かったかと思います。私も全日制の担任をしていた時にはいろんな理由で学校に来られなくなった生徒を通信制にお願いしたことがありました。でも最近では、特にコロナ以降、いろいろと価値観が変わったと感じます。積極的に選択肢の一つとして通信制を選ぶ生徒達が増えてきました。 本当、この一年、特に実感しています。 

 

インタビュア:

なるほど、積極的にというのは良いですね。

中村先生:

そうです。積極的に選ぶ選択肢となっています。 先日、本校の通信制課程1年の齊藤太陽君が新聞に取り上げられました。16歳のオートバイレーサーなんです。レースはすべて県外、海外に遠征に行くことも。そうすると欠席が多くなるので、全日制ではやっていけないんです。彼は高校進学の段階で全日制ではなくて、通信制を選び駿台の通信制に入ってきてくれました。学業とオートバイレースをうまく両立させています。こういう生徒もいるのです。

 

インタビュア:

 いろいろな意味で刺激になりますよね。この多様性たるや、すごいことですね。

 

中村先生:

本当に。多様性の時代です。

やはり従来の学校っていう枠組みの中ではなくて、本当に自分のペースで自分らしく学べる。 そういう時代になったということだと思いますね。

 

インタビュア:

であれば家庭、今までは親が強く否定したことが変わってきたということですか。

 

中村先生:

そうですね。親御さんも変わりました。以前ほど全日制にはこだわらなくなってきているように思います。一般的な例を言えば、流れとして全日制の高校に進学したとします。そこで人間関係のことや、その他、様々な理由で学校に行けなく(行かなく)なる。それが少し長引いた場合、最近は親御さんは無理に学校に行けとは言わない。もうそこで子どもが心を病むくらいだったら、その子の人生を考えて早い段階で通信制に行かせたいっておっしゃるん方が増えています。そのように親御さんの意識も大きく変わりましたね。

 

インタビュア:

時代の潮流が変わっただけではなく、ここではそれぞれの生徒を思う気持ちや愛情を持って、そのような受け止め方と取り組みをされていると感じます。

 

中村先生:

ありがとうございます。駿台グループの教育理念が「愛情教育」なんです。本校の通信制課程も当然、そこを目指しています。 一人一人の個性を真の意味で尊重できる場だと思っています。本当にいろんな生徒がいて、いろんな家庭の事情の生徒がいますから、一人一人に向き合ってサポートすることを念頭において教師もスタッフも努めています。 全日制で不登校になったりすると、子ども達以上に親御さん、特にお母さんたちが 絶望感を感じてしまうことが多いんですよ。 ですから本当にその子どもたちとか、親御さんに希望を持たせてあげられるような、そういう希望の道を開いてあげられるような学びの場をつくっていきたいと思っています。心と心を通じあい、寄り添える工夫を現場は意識して実践しています。人と人の関わりを大切に。そして自然との関わりもです。「自然」から私たちが感じ、学ぶことはとても多いと思いますし、生徒にはそれを感じてほしいとも思います。

 

インタビュア:

理科の先生らしくて、そこも素敵ですね。

 

中村先生:

私がスクーリングの開校式などで生徒に話をするときに、パナソニック創業者松下幸之助氏の言葉を引用させていただいています。こんな一文です。

山は西からも東からでも登れる。

自分が方向を変えれば、新しい道はいくらでも開ける。

学ぶ場は全日制だけがすべてではありません。通信制や高卒認定試験もあります。ですから自分が向きを変えて自分の意志で歩き出せば新しい道は開けるよって心から語りかけ続けているのです。昔は全日制から外れたらもう終わりといった価値観しか持てない人が多かったかもしれません。でも今はそんなことはありません。通信制から普通に大学にも受かっていますし、社会で活躍している人もたくさんいます。

 

インタビュア:

意志さえあれば、個々を尊重した「道が開ける」わけですね。

中村先生:

そうです。ですから、通信制を卒業して就職する生徒、専門学校に進学する生徒、また、 大学に進学する生徒もいます。

大学進学については、本校が駿台グループの学校ということもあり、ICT教材もフルに活用しながら難関大まで目指せる体制をとっています。

校則については、制服もありますが着るか着ないかは自由です。通学型コースは制服を必ず着用しなければならないという通信制高校もありますが、本校はあくまでも生徒が自由に決められます。もともと駿台甲府高校は生徒の自主性を尊重する自由な校風なんです。
「通学型コース駿台3DAY」というものを今年の4月から始めました。生徒や親御さんとの個別相談の中で、親御さんから「子どもを学校に通わせたい」という要望がありました。 また、「制服着て通いたい」という生徒も多くいて、その声を受けて週3日間授業を組んで、登校して授業を受けられるようにしています。当然、オプションとしてその選択は自由です。 授業のない日はバイトをしてもいいですし、登校して自習室で勉強をしてもいいです。学び方を生活のパターンによって生徒自身が構築できます。

 

インタビュア:

こういう通信制の方が、人生の選択肢としての可能性は広がるように感じます。昔は高校を退学したら学ぶことは概ね終わりというネガティブなイメージもありましたしね。

 

中村先生:

そうですね。時代が大きく変わってきました。

 

インタビュア:

最後に中村先生から不登校になってしまっている子どもたち、あるいはご家族に伝えたいことをお聞かせください。

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中村先生:

はい。 いろんな理由で学校に行けないとか、あるいは行かないという選択をする、そうなったとしても、自分の将来を絶対に諦めないでほしいと強く思います。 先ほどお話しした松下幸之助さんの言葉の通り、自分の道は、無限にある。そして自分を信じて歩み続ける限り道は必ず開ける。本当に希望を持ってほしいです。本校もそうですが、世の中には意志を持つ人をサポートしてくれる人は必ずいるはずなので。 

 あとは親御さんもお子さん以上に追い込まれて悩まれている方も、とても多いです。特にお母さんです。お母さんが「私のせいで」みたいな感じになりがちです。例えば旦那さんがあまり教育に関心を示さないとか、あるいはお姑さんからいろいろ言われて後ろめたい思いを持ってしまうとかいろんなことがあると思うんです。親御さんとの個別相談との中で、やはりお母さんが一番苦しんでるかなと感じることがあります。こういったお母さんたちのサポートも私たちは行っていますので、無理せず本当に周りの人を頼ってほしいですね。同じ悩みを持っている方もたくさんいますから。本校では隔週ではありますが、対応出来るスクールカウンセラーをお願いしています。そのカウンセリングを親御さんが受けられることも多いです。 

 

インタビュア:

そうなのですね。先ほど先生がおっしゃったように、土台となる大切な家庭から変えなければという時に、お母さんが悩まれていたらなかなか改善は難しそうですね。

 

中村先生:

そうなんです。だからまずお母さんが落ち込んでいたらお子さん自身が元気にならないです。だからまずお母さん、元気になりましょうと。私も中学校の教員時代から長く保護者対応をさせていただいていますので、今も、お母さんたちから多くの相談の電話をいただいています。当たり前のことかも知れませんが、絶対にお母さんたちのことは否定はしません。学校へ行けない生徒もお母さんたちだってそうしたくてしているわけではないですからね。どうかご自身だけを責めないでほしいと思います。状況やちょっとした対応一つでも変わることがありますし。お互いに心を開いて良い環境がつくれたらと思っています。

 

インタビュア:

そういう家庭内での架け橋としても、愛情をかけていらっしゃるのですね。今回のお話しで、このような教育の現場から、さらに子どもたちの未来が良い方向へ変わると感じました。ありがとうございました。

 

駿台甲府高等学校通信制課程

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無限の可能性を秘めた自分を信じて、学び、歩んでゆくこと。

一人ひとりの多様性、可能性を大切に育てる愛情教育の現場からのメッセージ。

駿台甲府高等学校 通信制課程 

副校長 中村圭世氏

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